救いの場を求めて① 保育園での指摘
保育園でたびたび遅れを指摘されていた息子ですが、私は息子の状態を受け入れたくなくて、いつかは追いつくだろう、と楽観視していました。
けれど、ある日のこと。
年少さんの夏。
保育園の帰り際、園長先生に呼び止められました。
「息子くんのことでお話があるんですけど」
いやな予感がしましたが、「なんでしょう?」と応じました。
「以前、三歳検診に行かれたかと思うのですが、発達相談はされていますか。」
「ええと・・・。」
「私たちも息子くんへの対応方法が知りたいですし、何より、早い方がよいと思います。」
「え・・・。」
これは、療育へいくのが早い方がよい、という意味でした。
ここまで言われて、上の人がでてきたということは、さすがに鈍い私でもわかります。
息子の状態について、担任の保育士さんから度々相談を受けていたのでしょう。
思い返せば、保育園の面談のたびに「遅れがある」と指摘され続けてきました。
ほかの人は任意の面談が、私たちだけは必須で予定を組まれていました。
昨年は、「息子くんは発達が遅れていて、食事も大量に食べこぼしています。来年から、担任がひとり体制になるので、これまでのようにきめ細かく接することはできません」
ともいわれていました。
1歳からずっといわれてきた「遅れている」のことば。
もう逃げることはできません。
追いつくこともなく、差は広がるばかり。
息子の障害を認めなくてはならないときがきていました。